23鍋店(なべだな)は江戸時代・元禄弐年に旧佐倉藩より酒造株(当時の酒造免許のこと)を取得して、下総の国成田村にて酒造りを始めました。(右上の写真=昭和20年代の成田蔵)その後、酒造りは順調に推移した為、明治年間に現在の神崎町と兵庫の灘、そして同じく下総の木下六軒に相次いで出蔵を設けて、昭和16年の太平洋戦争が勃発するまで合計四つの蔵で酒造りに励んでおりました。しかしながら、戦争で原料米が全て配給制度になったことから、成田・灘・木下の3蔵は止む無く閉鎖して、一番製造場が広く、良質な水と米質の良い神崎蔵のみを残して、今に至っています。(右の中央・下・人物写真は神崎蔵の大正年間)戦後は後の日本経済急成長時代を背景に日本酒の需要も伸びて、昭和49年には全国で1,000万石(1石=1.8ℓで100本)もの酒が製造され、消費されたという記録があります。ところが昭和の終わり頃から平成に至って、日本酒の需要は300万石までの落ち込みを経験しましたが、最近では酒造技術の向上により新たな品質競争が始まり、販売先も国内にのみならず全世界へと販売網が確立しつつあります。(鍋店=4,000石)創業元禄弐年(1689年)鍋店の酒造りの歴史について
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